アンバサダー

クリムト・アライブ大阪展の
公式アンバサダーに、
藤井フミヤさんが就任!

「クリムトのどこが好きかと言われたら・・・
全部が好きなので答えようがないのですが、
あえて一言で言うならばセンスでしょうか」
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アンバサダーイメージ
Profile
1983年 チェッカーズのボーカルとしてデビュー。
1993年以降 ソロアーティストとして楽曲リリースや全国ツアーなど音楽活動を続けている。
文化庁主催の令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
現在、自身2度目となる47都道府県コンサートツアーFUTATABI を開催中(~2026年7月)。
(アート活動)
1993年 「FUMIYART~TAKE A BREAK~」と題したアート展を開催。その後も全国にて巡回展を開催した。
2003年 10年目の作品展として、CG作品や「KIRIE」「HARIE」など100余点の作品を展示する全国巡回展を開催。
2005年 愛知万博「愛・地球博」において、名古屋市パビリオン「大地の塔」をプロデュース。
2019年 個展「デジタルとアナログで創造する藤井フミヤ展多様な想像新世界The Diversity」を以てアート活動を再開。以降、各地にてアート展を開催。

Comment

今回、ご縁があって「クリムト・アライブ」大阪展の公式アンバサダーを務めさせていただくことになりました。 グスタフ・クリムトの多くの作品が、最新映像技術で巨大空間のインスタレーションアートとして再構成され、 観る者は絵画の中に入り込むような体験を味わうことができます。 音楽と光に包まれる演出は、従来の絵画鑑賞を超えた新しいアート体験になるでしょう。

なぜ私がアンバサダーに選ばれたのか。それは私がクリムトの大ファンだからです。 ウィーンまで追いかけて、アトリエ にもお墓参りにも行ったほどの大ファンなのです。 私の本業は歌手ですが、絵を描く事も大好きで、時々個展をやったりもします。 女性を描くのが好きなのですが、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの描く女性の絵に多大な影響を受けました。 二人は同じ時代のウィーンで師弟関係にあったので、裸婦のドローイングはどこか似ています。 お互いに影響し合っていたのではないでしょうか。

クリムトは14歳で美術工芸学校に入学し、20代の頃にはすでに劇場や美術館などの装飾の仕事を受けるほど、才能を認められます。 26歳の時に描かれた「旧ブルク劇場内部」という作品を美術館で観た時、「えっ!これが初期作品!」 その写実的な精密描写のテクニックは、まるで魔法を見ているようでした。 時代ごとにクリムト作品を観てゆくと、画家としての天才の度合いが、雪だるま式に大きくなってゆくのがわかります。

クリムトが20歳前後の頃が、印象派の時代です。 写実的な技法を踏まえた上で、徐々に印象派的な個性が現れてゆきます。 人体の部分だけは写実的で、その他は印象派的な大胆な筆使い。 人物を描いているのに、人体のほんの一部しか描かない。 代表作「接吻」は男女のキスシーンの全身が描かれているのに、人体部分はキャンバスの5%ほどで、あとは幾何学的な柄と模様で構成されています。

「期待」という作品は、能面みたいな小さな横顔以外は全て模様です。 1900年以降、ほとんどの作品がそうなってゆきます。人間が柄と模様の中に埋もれているような。 女性のポーズは、まるで裸のバレリーナが何かを演じているような。 あの時代、まだ映画もTVもないので、女性のポーズは、バレエやオペラや演劇などからのインスピレーションなのかもしれません。

どこか日本的な部分を感じるのは、日本画の琳派のような金色の使い方と、柄と柄の重ね方が、浮世絵の花魁や遊女の着物の重ね着に似ているからでしょうか。 日本の着物の着付けは、異なる柄の着物を数枚重ねます。 クリムトの模様や柄の装飾は、どこか日本の着物に似ている気がします。 きっと、ジャポニスムの影響も多少はあったのでしょう。

クリムトのどこが好きかと言われたら・・・全部が好きなので答えようがないのですが、あえて一言で言うならば、センスでしょうか。 好きな作品をひとつと言われたら・・・・「ベートーヴェン・フリーズ」という壁画で、最大の作品があります。 この作品は絶対にオーストリアから出ることがないので、何かで検索して是非ご覧になってください。クリムトのとんでもない独創性がわかります。 クリムトの全ての作品、そのセンスの素晴らしさに私は跪いて脱帽します。


藤井フミヤ